いろいろな経験をしていれば、思わぬところで救われるものだ。
もとの飼い主は、誰かがこの犬を拾ってくれるだろうと思っていたのかもしれないが、それはこういう場合の言葉ではない。 いる犬がいないか、心配するようになってしまった。
この出来事が起こって以来、大雨が降ったり雷が鳴ったりする度に、どこかで震えて新人とは新しい人と書くように、やることなすこと何もかもがはじめてである。 日々、挑戦という感じで、やたらめったら緊張しながら仕事をする。
当然一人では仕事ができない。 先輩の尻にくっついて仕事をするのだ。
初めての挑戦にドキドキするのと、先輩たちの監視の目が怖い。 ドキドキに一層拍車。
看護婦の国家試験の合格発表は、私の卒業年度当時、五月に行われていた。 四月に病院に就職しても、看護婦免許はまだ持っていなかったのである。
看護婦の姿はしていても看護婦ではない。 看護婦もどきとでも言おうか。
国家試験の合否が発表されるまでは、つまり免許を取得するまでは、看護婦の仮面をかぶった一般人なのである。 そのドキドキは、片思いの意中の彼が横を通りすぎるときのような、胸ときめくドキドキとは違い、緊張という名の非常にストレスフルな体に悪いドキドキなのである。
このドキドキは、まぁ三ヵ月間ほぼ毎日ついてまわる。 ストレスフルな生活は三ヵ月ほど続く。

はい。 わかりました。
わかりません。 ありがとうございます。
すいません。 一日に何度この言葉をくり返しただろう。
早く一人で仕事ができるようになりたいと切望する反面、早く家に帰りたい。 家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って眠りたいと小学生のように思った。
家に帰っても、明日へのチャレンジを考えただけで憂鯵になり、手順や要点を記したお手製の虎の巻などに目を通す。 それだけでドキドキする。
「ああ、明日の今ごろは何もかも終わっているんだなぁ、明日の今ごろにワープしたい」夜空に向かってそう嘆き、ギンギンな目のまま床につくのである。 翌日が快晴だったりすると、自分の気持ちとのギャップにため息が出てくる。

恨めし三ヵ月ほど過ぎると、ようやく初めての挑戦も回数が減っていく。 同時にドキドキの回数も減り、いつの間にか新人時代を卒業しているのだ。
皆くぐり抜けてきた、耐えること多かりし新人時代。 まあ仕方のないことである。
では、新人なのにあまりドキドキしない枇岸格の人が得かといえば、そうでもない。 新人であまりに緊張感がないと、それはそれで異色に見える。
新人らしからぬとなるのだ。 異色は異物に見え、いっそう先輩看護婦の目が光るのである。
緊張感のない本人は気づくことがないかもしれないが、周囲はヒヤヒヤしている。 その視線の矢が飛び交う空気は、精神衛生上、非常によろしくない。
緊張感のない新人よりも、緊張している新人のほうが新人らしいと好感を持たれるのだ。 まあどこの世界もそんなものかもしれない。
空を見上げても時間は確実に進んでいる。 業務が私を待っている。

レッツチャレンジだ。 ドキドキする処置や申し送りがない一時は、ホッと心休まるものだ。
患者さんの体を拭いたり、髪を洗ったりする業務は、体力の消耗は多かれど精神的には非常に楽だ。 新人のころは、「清潔ケア係に一日なりたい」と本気で思っていた。
なんせ申し送りひとつとっても、どんなに頭をフル回転しているつもりでも、要点がわからないし、うまく言えない。 包交時に摂子を握る手も妙に力が入ってぎこちなく、震えそうである。
力は入れていても、消毒綿をポトッと落としそうになりヒヤヒヤする。 無事に包交が終われば、力を入れすぎていたせいで手が痛い。
点滴や採血にも自信がない。 こちらが緊張すれば、患者さんにもその気持ちは伝わっている。
「さあどうぞ」と言ってくれる患者さんでも、きっと心のなかでは、あ−あ、今日の看護婦は新人かぁ。 はずれと思っているんだろうなぁ、といつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
立場を変われるのならば、遠山の金さんのように、喜んでグイッと二の腕を差し出すのに、それはどれだけ神様に頼んでも不可能である。 友人が産気づき、この世のものとは思えない痛みと苦しみに戦っていた。
腹には胎児の心音がモニタリングされる装置がつけられている。 キッイーと思っていると、新人看護婦がやってきて、腰をさすってくれていた。
ありがとうね−と思っていた矢先、新人看護婦の表情が変わり慌てふためいた。 「あ、あらら、ちよ、ちょっと胎児の心音が……、ベテランと代わってきます」苦しむ友人を一人置いて、新人看護婦は走っていってしまった。

友人は不安なまま心細くて泣いた。 胎児の心音がなんだというのか?ありがたいと感じた思いは一瞬にして消えうせ、もう二度と私の腹に触るな、赤ん坊にも触るなと思ったという。
失敗すれば、二度目の針を刺す勇気はない。 「すいません。
上手な人に代わります」と選手交代。 快く引き受けてくれそうな先輩にかわり、尻をぬぐってもらうのである。
なんに対しても自信がない新人時代。 しかし場合によっては、その自信のなさをもろに出せば、患者さんもオイオイ冗談じゃないよと不愉快きわまりないと感じることがあるので気をつけたほうがよい。
新人看護婦の慌てる気持ちもわかるが、そのようなときにはせめて涼しい顔で選手交代すればいいのだ。 手術》室に勤務するようになると、最初のころはどの手術につくにもはじめてで、やはり三ヵ月、いや六カ月間は毎日ドキドキしていた。
手術につくなら、部屋の後片付けや、器械セットを組んでいたほうが気が楽だった。 「今日は一日バケツを磨きたい」どんなにそう切望しただろう。
しかし、バケツ磨き専門の看護婦なんているわけがない。 願いがかなえられるはずもなく、どんどん新しい手術につくようカリキュラムが組まれていく。
手術部メンバーとして、早くいろいろな手術をこなせるようになってもらわねば困るのである。 当然だ。
新人時代は、いくつものハードルを飛び越えなければならず、それは避けることができない。 最初はうまく飛び越えられず、ハードルを倒したりもするだろう。

しかし、そのとき倒したハードルは、立て直すのに若干の時間を要するが、二度と忘れることはない。 初めての処置や手術につく場合、医者や指導者が穏やかな雰囲気を持っている人ならば、ちょっとはドキドキの速度がゆるやかになる。
しかし笑顔になるまでの余裕はない。 ああ私は今から初めて腎生検につくのだ。
必要物品を用意し、ぬかりないか先輩にチェックしてもらった。 ここまではOK。
第一関門突破だ。 ドクターがやってきた。
時間はどんどん過ぎていく。 ついにそのときはきた。
「消毒」ドクターは摂子を持って私に消毒をよこせと言っている。 緊迫した空気のなか、消毒綿を缶から不潔にならないよう取り出した。
注意深く渡そうとしたとき、ボテッと間抜けな音を立て、綿球が床に落ちた。 それに時間が経ち、ハードルを避けてばかりいれば、いつの間にか、今さら人に聞けない時期へ移ってしまっている。

新人の頃にもっとやっておけばよかった。 聞いておけばよかったとなるのだ。
しかも消毒を絞っておらず、イソジンの茶色い液体が飛び散り周囲をやたらと汚していた。 しまった!くう−つと下唇をかみたい衝動にかられ、恐る恐るドクターへ視線を向ける。

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